8月4日、関西、大阪の美容師派遣の皆様、おはようございます。
関西、大阪の美容師派遣の皆様、大阪道頓堀の美容師派遣の美JOBです。おはようございます。
このところ大阪道頓堀の美容師派遣の美JOBの私を含めて、世間全体の話題は新型コロナウイルス
の話題一色ですが、今日は奇跡的な復活優勝を果たした。大相撲の照ノ富士の話を書いてみたいと
思います。先ずは、照ノ富士についてですが、モンゴルウランバートルに1991年11月29日生まれ
で、18才で逸ノ城らと一緒に鳥取城北北高に相撲留学しました。3年生で中退して間垣部屋に入門
して13年より伊勢ケ浜部屋に転籍し、同年秋が新十両に昇進して「照ノ富士」に改名しました。
モンゴル出身力士は平成から令和にかけて大相撲の一大勢力でその頂点が白鳳です。ところが、照ノ
富士にとっては白鳳は畏敬すべき存在でも大横綱でもなく、むしろ怒りの対象だそうです。これを
書くとすっごく長くなるので簡単に書くと、白鳳に部屋に一人外人枠が空いたので入れるって
言葉を信じて、成田空港に降り立った照ノ富士ですが、何度電話をしてもでてくれず、部屋に伝言
してもなしのつぶて、つてを辿って尾車部屋、朝青龍をも頼って大相撲への道を探ったという。
その間、3か月当初の約束を反故にされ、言葉の通じない異国で右往左往した少年は傷心のまま
帰国していったという。今でこそ、陽気なキャラクターとして記者にも人気で、まさに失意のドン底
から這い上がって奇跡のカムバック優勝を遂げた照ノ富士でした。今もその12年前の悔しさは
忘れていなく、むしろその悔しさが照ノ富士をここまで育てたっていっても間違いではないようです。
今回の照ノ富士は14場所ぶりに幕内復帰し前頭17枚目まさに幕尻。絶好調の関脇の御嶽海を寄り切って
ともえ戦に持ち込まずに30場所ぶりの優勝は史上2番目のブランクで、両膝の負傷や内臓疾患に苦しみ
序二段まで番付を落とした男が、大相撲史に残る復活劇を成し遂げた。優勝後のインタビューで
天井を身ながら、諦めずにやってきて良かった。って言葉が本当に心を打たれた大阪道頓堀の
美容師派遣の美JOBでした。この照ノ富士は去年は何度も体の不調から引退を考えていたらしく
「何をやってもうまくいかないんです」と両膝の故障でどん底のなか弱音も吐いたことがあった
そうですね、でも本当に諦めなくて良かった。諦めなかったからこそ、こんな良いことが
待っているのですから。本当に奇跡ってあるって本当に感動した大阪道頓堀の美容師派遣の美JOB
でした。